セルジュ・デュプラズは1980年代にアルパインレーシングが盛んだった時代に「HOT SNOWBOARDS」というブランドを立ち上げました。当時のスノーボードはパウダーを滑るだけのものでしたが、デュプラズ氏はスキーの構造をスノーボードに導入し、フルメタルエッジを備え、トーションとフレックスを調整した「ONE SIXTY」を開発。ゲレンデでのクルージングを可能にしました。それまでパウダーを滑ることしかできなかった創世記のスノーボード時代において、それは革新的なモデルでした。
その後、フロントとバックサイドで接雪長やサイドカーブが違う非対称ボードの「LOGICAL」を開発し、当時ヨーロッパで盛んだったアルパインレースシーンにおいて数々の実績を作り上げました。気がつけばHOTがシーンを独占しているかのような状態になっていました。それはフランス国内でバートンの4~5倍を売り上げるという記録にも繋がっています。
当時フリースタイルシーンは、アメリカのジェイク・バートン、トム・シムスが盛り上げていました。バートン氏は当時のスノーボード開発について「セルジュ・デュプラズは、サイドカーブが6メートルの画期的なボードをデザインした。すべてのメーカーがこの素晴らしいアイデアに飛びつき、HOT SNOWBOARDSは当時一世を風靡した」と語っているように、現代のスノーボードにおいても影響を与えています。
こしかしその好調ぶりから一転、1989/90のシーズンは極端な雪不足でシーンは大きな転換期を迎え、やむを得ぬ状況の中、デュプラズ氏はHOTのライセンスを手放し業界を離れました。
1990年、HOTを離れたのちデュプラズ氏は新たな進化系ボードの開発に取り組みました。それが現在のDUPRAZの原型となる初代D1シリーズ。1990年にHOTを離れ、初代D1の誕生が2003年。実に10年以上の歳月をかけて進化したスノーボードの形を作りあげました。パウダーを気持ち良く滑ることができ、アルパインスノーボードのような特殊な形状をコントロールするための身体能力がなくてもハードパックのゲレンデで楽にカービングが楽しめます。同時にサーフィンの感覚、いわゆるスノーサーフィンの楽しさも味えるボードです。
D1シリーズは誕生以来、コンセプトやシェイプはほとんど変わっていません。 素材や製造方法の進化により性能はさらにアップ、現在の最新モデルへと成長を重ねてきました。サイズは5’2″(158)/ 5’5″(165)/ 6′(178)/ 6’3″(193)の4サイズ。サイズごとにフレックスが数種類あり、体重や脚力からチョイスします。 一見ロングボードのようなシェイプながらセットバックは0cmで、フリースタイルボードの考え方をベースにノーズ部分をプラスしたデザイン。サイズは長くても有効エッジは短いため、軽量かつ取り回しの良さが特徴です。それぞれの目的に合ったボードが必要であるという概念ではなく、パウダー、カービング、フリースタイルなど、ジャンルを超えてすべて1本でカバーできます。デュプラズ氏はD1の特徴を「なめらか、角がない、直感的、適合的」「自分で乗りこなすというより、ボードが合ってくる」「イージーで気持ち良い」と語るように、誰もが乗りやすさを感じるシェイプとなっています。
画期的なコンセプトのD1を発売したDUPRAZでしたが、すぐにその名前が広まったわけではありませんでした。発売された2003年はフリースタイル全盛期。スノーボードブームもありマーケットは巨大化し、ブランドをマーケティングするには莫大な予算が必要でした。メディアも小さなプロダクトには関心を示さない中、デュプラズ氏は自分でできる範囲で試乗会やプロモーションを行い、ショップ、ユーザーから信頼を得てきました。その一つでもあるバンクドスラロームの大会は16年も前から開催しています。
その大会は、D1がバンクドスラロームにおいて非常に優れた性能を発揮することの証明となりました。総合滑走能力が問われるバンクドスラロームのコースでも、D1ならより楽に、より早く滑ることができるのです。このようなプロモーションによりDUPRAZの評価は少しずつ上がり、世界中に知られるブランドへと成長しました。
ボード形状がほとんど変わらなくても愛されるDUPRAZ。それは時代のトレンドを追い短期的な利益を求めるのではなく、デュプラズ氏の想い描くスノーボードの形と情熱を伝え続けています。